株式会社オリエンタルランドの創立記念日:文化、福祉、そして東京ディズニーリゾートへの道

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今回は、私たちが愛してやまない「東京ディズニーリゾート」の母体となる株式会社オリエンタルランドの創立から63年の彼らの挑戦と成長の歴史を振り返ります。

〈オリエンタルランドのはじまり〉

1960年7月11日に誕生した株式会社オリエンタルランドは文化、福祉、そして厚生に貢献するために商住地域と大規模なレジャーランドの建設を目標に、浦安沖を埋め立てました。ここには後に誰もが知る「東京ディズニーリゾート」が広がることとなるのです。

「創業」。その言葉に含まれるのは数え切れないほどの困難と挫折、そしてそれを乗り越えて成し遂げる勇気と粘り強さです。設立当初、オリエンタルランドはわずか3人で京成電鉄の事務所をお借りし、その片隅に机を置いて業務を行いました。当時専用の電話すらなく、京成電鉄の電話を借りて連絡を取り合うなど過酷な環境の中、厳しい道のりを進んでいきました。

特に大きな困難として立ちはだかったのが、埋め立て地となる浦安沖の漁業権。これは地元の海域を使用することになり、その影響を受ける地元漁業者との交渉は必須となりました。この交渉は後に社長となる髙橋政知氏が担当し、彼の粘り強い交渉によって1962年に一部の漁業権を放棄することを受け入れる形で妥結しました。その後、全面放棄は気の遠くなるほどの時間、つまり1971年まで待たなくてはなりませんでした。

〈ディズニーランドの誘致実現へ〉

埋め立て地の開発は進み、1964年に始まった浦安沖の埋め立て工事は1970年に完了しました。この埋め立て地は住宅地や商業地として開発され、現在の東京ディズニーリゾートが所在する舞浜地区もこれに含まれています。

埋め立て工事と並行して進められたのが、「東洋一のレジャーランド」建設のマスタープランの策定でした。この計画のコンセプトは、「すばらしい人間とその世界」を主題に、テーマ性を持つプレイランド(テーマパーク)、ホールエリア、ファッションスクエア、ホテルなどを含む、将来性豊かな総合レジャー施設が提案されました。

このマスタープランの中には、ディズニーランドの誘致が含まれていました。取り組みは加速し、1972年には調査団がアメリカに飛び、ディズニーランドとウォルト・ディズニー・ワールドを訪ね、欧米のレジャー施設の研究を進めました。このような努力を通じて、オリエンタルランドの夢、「ディズニーランド」の誘致が具体的な形になっていきました。

これらの挑戦と努力があり、今私たちが楽しむ「東京ディズニーリゾート」が存在します。63年の歴史を持つ株式会社オリエンタルランドは引き続き、「夢、感動、喜び、やすらぎ」を提供するための挑戦を続けています。私たちはこれからも、その挑戦と成長を見守りつつ、彼らが生み出す笑顔と感動を感じ続けていきましょう。

参照記事・引用元画像
https://www.olc.co.jp/ja/company/history/history01.html